ありのままという罠
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先日の展覧会で書いていただいた、みなさまにとっての「地獄」。
その中でも、私が寝ても醒めてもいつも頭から離れなかったのがこの地獄でした。
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「全ては外見 生まれ持ったもののせいで、貴重な青春ムダにした」
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自己肯定感、自分受け入れよう、ありのままの自分ブーム(ブームではないかもしれませんが)の一方で、
見た目至上主義みたいな情報や広告もめちゃくちゃ多くて、よくわからなくなっています。
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たしかに「ありのままの自分を愛そう」という言葉が響いたこともあったし、私もそうありたいと思ったけれど、私にはできませんでした。
ありのままでいたいけれど、痩せたいし。
ありのままでいたいけれど、こんなんじゃなかったらなあと思う体のパーツなんてほとんど全部だし。
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そんな中、よく聴いている笑い飯・哲夫さんのポッドキャスト番組「サタデー★ナイト仏教」を聴いていたところ、
みうらじゅんさんがゲスト出演された「“ありのまま”という罠。コンプレックスという強み。みうらじゅんさんとリスナーお悩み相談回!」の回のみうらじゅんさんの言葉が、私には一番腑に落ちるもので、とても面白かったです。
内面と外見の「ありのまま」というのはまた違うものだなと思いますし、
この回でお話されている内容も外見の話ではないのですが、タイトルの「ありのままという罠」にすべてが集約されているなと思います。
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今まで「ありのままの自分が素晴らしい」に踊らされてきたけれど、
私自身、結局それがあまり腑に落ちなくて今も「私がありのままで愛されるわけがないだろう」と思いながら生きているし、
これも外見の話ではないけれど、誰かが「ありのままじゃない自分」で対応してくれたからこそ回っていることもたくさんあるなと思います。
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私はきっとこれからも何度も何度も「こんな私じゃなかったら」と思うのかもしれません。
そしてそう思うたびに苦しんで、でもまたちょっと薄まって、また思い出して苦しんで…を繰り返すのだと思います。
つまり結局はそれなりにやっていくしかないんだなという、なにも言ってないのと同じようなことしか言えなくなってしまうほど「うぅっ」とくらった1枚でした。
書いてくれて、ありがとうございます。
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久しぶりに書いたら、文章がすごくくどくなってしまいました。反省。